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    2011-08-03 (Wed) 12:38

    「野火」の主人公は田中ではなく田村ですよ。
  2. maribu

    maribu

    2011-08-03 (Wed) 15:37

    > 「野火」の主人公は田中ではなく田村ですよ。

    ご指摘ありがとうございます。訂正させていただきました。

    MARIBUブログ担当

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コーマック・マッカーシー原作「ザ・ロード」を読み、大岡昇平の「野火」を思う。

2006年に現代アメリカを代表する作家、コーマック・マッカーシーが発表した「ザ・ロード」は読書好きなら必ず読んでおきたい一冊だ。

マッカーシーは「ノー・カントリー」(邦題)の題名で映画化された「血と暴力の国」でも有名だ。
今回の「ザ・ロード」もすでに映画化されて公開されている。

ただ、この作品は捉え方によって様々な見方が可能だ。

私はこの作品を読んだときに感銘を受けるとともに、一方で微妙な「危うさ」のようなものも感じてしまった。

今回は、この「ザ・ロード」について考えてみたい。
なるべく物語のネタバレはしないようにしたが、ある程度は許してほしい(ただ、この作品は推理小説ではないのでネタバレはあまり関係ないと思われるが・・・)

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「ザ・ロード」は世界が破滅してしまった未来が舞台(理由ははっきりしない)。名のない父と息子が南に向かって歩き続ける姿が描かれる。

空は常に曇天に覆われ、食料はおろか植物もなくなり、親子は飢えにさいなまされながら南を目指す。道中、わずかに残された食物(缶詰など)をあさっていく。しかし、生き残った人々の中にはカニバリズム(食人)に走り、暴徒になっている一群もいる。親子はこの暴徒の襲撃におびえながらも、決して人肉を口にしないことを誓っている。

父は極限状態の中で息子を守るために最善を尽くし、息子に愛を注ぎ続けるのだ。

作品は詩のようなエレガントな文体で書かれており、慣れるまでは読みづらいが一度慣れると心地よくなる(挑戦できる人は英語の原文をお勧めする。微妙な韻が踏まれているのを見逃さないで済む)。
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この作品はSFの設定ではあるが、純粋なSFとも異なるように感じられる。
わたしはこの作品は「大人のファンタジー」として読むと実に奥深い作品だと感じている。

この作品はメタファーであると考えて、題名の「ロード」、つまり「道」とは人生を象徴しており、父が人生の中で息子に伝えたいことが、「破滅した世界」という設定の中で比喩的に語られている、と考えると、読んでいて実に知的興奮が掻き立てられる。
そして、親子を襲うカニバリズム目的の暴徒などは人生における「厳しさ」や「過ちへの誘惑」であり、それらの「人生の困難」から父が息子を守り、いずれ、父がいなくなった後も息子が「人生の困難」に一人で立ち向かっていけるように導いている話と考えると、本当に奥の深い作品だ。

ピュリッツアー賞を受賞したのも頷ける傑作だ。


しかし、一方でこの作品は非常に宗教的な作品でもある。作者は何度も息子を「神」の象徴として扱っているし、また、親子が決して人肉を食さないことで道徳的に「善い者」であるとしている(人肉食はキリスト教の罪だ)。

この作品を極限状況の中でのモラルを問い、その道徳的高潔さを保つことの美しさを訴えている作品、と考えると若干の違和感が感じられるように思える。

この点は日本語版を読んだ者にとって、陥りやすいトリッキーな翻訳がある。
誤解してほしくないのだが、この本の翻訳を担当した黒原敏行氏の翻訳は日本語訳としてこれ以上期待できないほどの完璧な名訳だ。しかし、英語特有の表現を日本語に訳すのは限界がある。もちろん黒原氏も、これから私の指摘する点に関しては気づいておられたはずだ。しかし、これに関しては、黒原氏の翻訳以外にはありえない。私もこれをわかった上で指摘させていただく。

主人公の親子は人肉を食さない自らを「Good guy」と呼び、人肉食をする暴徒を「Bad guys」と呼んでいる。
日本語訳はこれを「善い者」と「悪い者」としている。
ここにトリッキーな部分がある。日本語の「善い者」というと、なにか「純真で無垢なもの」を連想させ、それが主人公の穢れのない心を象徴しているようにも感じられる。そして、父は息子(神の化身と考えるほど愛している)のこの純粋さを「悪い者」によって汚されないように、自らを犠牲にしても努めている、と捉えられる。

しかし、英語での「Good guy」や「Bad guy」はどちらかというと「イイモノ」と「ワルモノ」という、もうちょっと子供じみた表現と捉えることも可能だ。子供向けのヒーロー番組などで、正義の味方を「イイモノ」と呼び、悪の帝国を「ワルモノ」と呼ぶのときの言い方だ。

つまり、原文は読みようによっては「人肉を食べない自分たち」は「イイモノ」で「人肉を食べる」というモラル上の間違いを犯した者たちを「ワルモノ」と呼んでいる、とすることも可能なわけだ。

アメリカ社会は善悪の二種類で考えることをよしとする傾向がある。

ちょっと飛躍した例になるかもしれないが、トム・クランシーが原作の「今、そこにある危機」という作品がある。この作品の映画版に、この「善悪の二つ」で考えるアメリカの様子を考える上で象徴的なシーンがあった。

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この映画の悪役は主人公のハリソン・フォードに「世界は善悪ふたつで出来ていると思っているのか?そんなに単純じゃない!世界はグレーなんだ!」と訴える。ハリソン・フォード演じる主人公、ジャック・ライアンはこの言葉に激怒し、ついには「世の中はグレーだ」という価値観に基づいて動いたアメリカ合衆国大統領までも糾弾するに至る。
これは「イイモノ」と「ワルモノ」に世界の価値観は分かれている、と訴えていると捉えることも可能だ。
映画の世界だけでなく、ブッシュ前大統領がイラン、イラク、そして北朝鮮を単純に「悪の枢軸」と表現したことにも、このアメリカ的捉え方を表しているのかもしれない。

そういう観点から見ると、主人公の少年が自らを「Good guy」と表現することに、もう少し違った意味が見えてくる。作者は世の中を「善」と「悪」に二分することに皮肉を加えたかったのか、それともアメリカ人の作家として、この「善」と「悪」の二つの価値観に沿って行動するべきで、人は常に「善」を保たなければならない、と訴えたかったのか・・・・。考えさせられる。

私は、おそらく後者ではなかったか、と思うのだがどうだろうか?
というのも、少年は「善い者」であるか見極めるために「(心に)火を持っているか」にこだわっている。「善」の火を心に灯し続ける者こそが「善い者」である、と作者は訴えたかったのではないだろうか。
これは読む人によって意見がわかれるのかもしれない(したがって私が間違っているのかもしれない)。

ただ、この場合「悪い者」と分類されるのが「人肉を食べたもの」と単純に分類されるのだとしたら、それは違和感がある。
「人肉を食する」という一線を越えるにあたっての葛藤、それを超えるときに「神」に見捨てられるのか、それとも「神」はいないのか?そういった哲学的な思考の深さはこの作品にはない。

そこで思い出したのが大岡昇平の「野火」だ。

「野火」は太平洋戦争の末期のフィリピン戦線で、日本軍が敗走を続ける中で極限の飢餓を体験した主人公が人肉を食することに葛藤する物語だ。


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こちらは市川昆監督の映画版。比較的原作に忠実だ。

「野火」の主人公の田村もまた、「ザ・ロード」の主人公と同様に人肉を食することを拒み続ける。しかし、「ザ・ロード」の親子と異なり、たびたび、その衝動にかられては葛藤を続ける。そして、「ザ・ロード」とはもっと高次元で「神」について思いをめぐらす。

田村は「もし、人間がその飢えの果てに互いを喰いあうのが必然であるならば、この世は神の怒りの跡にすぎない」と考察し、人肉食を拒むことで「私は神の怒りを代行しなければならぬ」と考える。しかし、のちに「神の怒りの代行」という考え方は錯覚であり、「神は何者でもない。神は我々が信じてやらねば存在しえないほど弱い存在である」という考えにいたる。
しかし、最終的に自分が心のそこで人肉を食べたかったのではないか、と考える。

田村はフィリピンで人肉を食べようとした戦友を殺し、平原の先に見える野火に向かい、そこで何者かに後頭部を殴られ、意識を失い、米軍の捕虜になる。しかし、後にこのときのことを考え「野火を見てそこに向かっていた私の秘密の願望は彼らを食べるため」であったのではないのか、と思い至る。
そして、後頭部を打った打撃が「罪に堕ちようとしたときに、神があらかじめ用意していた打撃だとしたら」と考えるに至り、ついに「神に栄えあれ」と訴えて、物語は終わる(田村の思考過程はここではだいぶ略して書いた。是非、全部をきちんと読んでいただきたい)。

「野火」は同じ「人肉食」を扱っていても「神」や「モラル」といったテーマにおいては「ザ・ロード」とは比べ物にならないほどに、深遠で重厚な思考作品になっている。

「ザ・ロード」と「野火」。同じテーマに対する異なるアプローチの作品だ。
両方を読むと人生について深く思考できる。あわせて読むのにちょうどいい、有意義な二作品ではないだろうか。


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    2011-08-03 (Wed) 12:38

    「野火」の主人公は田中ではなく田村ですよ。
  2. maribu

    maribu

    2011-08-03 (Wed) 15:37

    > 「野火」の主人公は田中ではなく田村ですよ。

    ご指摘ありがとうございます。訂正させていただきました。

    MARIBUブログ担当

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