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ラース・フォン・トリアー監督の最新作「アンチクライスト」を解読する

伝説的TVシリーズ「キングダム」やニコール・キッドマン主演の「ドッグヴィル」を監督したラース・フォン・トリアー監督の最新作「アンチクライスト」がいよいよ日本でも公開となった。

しかし、いろいろな意味で難解な点もある作品だ。ここで作品の解読を簡単に試みてみたい。

ただ、これはあくまでも私的な試みであり、この解釈に誤りがあるかもしれない。また女性蔑視とも捉えられる表現があるかもしれないが、それはあくまでも作品の意図に則って解釈しただけに過ぎず、筆者にはその意図はまったくないことをご了承いただきたい。

この作品はもともと企画段階ではホラー映画を製作することを意図していたようだ。
監督は日本製ホラー映画である「リング」や「仄暗い水の底から」といった作品に影響されて「特撮やメイクに頼らずに雰囲気で怖さを醸し出す作品」を目指したそうだ。

しかし、完成した「アンチクライスト」は雰囲気的に恐怖感を感じさせる部分はあるものの、いわゆる「ホラー映画」ではない。

この作品は「アンチクライスト」すなわち「反キリスト」と題名から明確に提示している。しかし、監督が意図するものはキリスト教という宗教に対する「アンチ(=反)」ではなく、キリスト(=神/善)の反対、すなわち「悪」について描いた作品と捉えることができるだろう。

では、「悪」とはなにか、というと旧来のキリスト教の考えに従えば「女性」である、という解釈をこの映画はしていると考えらえる。

物語は名前も明らかにされない妻(シャルロット・ゲンズブール)と夫(ウィレム・デフォー)の二人が性交渉をしている最中に、夫婦の幼い息子が転落死してしまうプロローグから始まる。このとき、映像は白黒のスローモーションで流れ、BGMとして流れるのはヘンデルの「涙流るるままに」だ。この曲の歌詞を大雑把に翻訳すると「残酷な運命に涙を流し、自由を求めることをお許しください」となる。二人の性行為そのものを象徴しているのか、それともその後の二人の運命を暗示しているのか、解釈は難しい。

子供を失った妻は精神的に抑うつ状態になって毎日泣いて暮らす日々が続く、心理療法士の夫はそんな妻と治療をかねて、妻が前年の夏に息子と二人で学位論文を執筆するために滞在した森の中の山小屋に行く。そこで妻は徐々に正気を失っていき・・・・という展開を見せる。

ここからは映画を見ていることを前提に考察を試みる。ネタばれがあるのでご注意を。

まず夫婦は山小屋に行くにあたって橋を渡る。この橋は執拗に何度も劇中に登場すりが、これは文明世界から自然(神の宿る世界)への架け橋と考えていいだろう。というのもヨーロッパ発売版のDVDに収録された監督のインタビューの中で監督は明確に「森は痛みを持つ場所、または神秘の場所と考えた」と言っているからである。
この辺りは西洋人の感覚なのかもしれない。たしかデイヴィッド・リンチ監督も「ツインピークス」の中で森を同じような意図で表現しようとしていた。

さて、森の中の山小屋は「エデン」と呼ばれている。これはもちろん、旧約聖書でアダムとイブの二人が住んでいた楽園の名前だ。その「エデン」に妻と夫、つまり男と女が二人だけで過ごすわけだから、当然この夫婦は「アダムとイブ」を象徴している。
聖書の創世記において、「神の姿に似せて」最初に創られたのは男性のアダムだ。イブはその後で作られたことになる。つまり、アダム(=夫)は「神そのもの」を象徴していると考えることが可能だろう。

旧約聖書によれば、イブは悪魔の誘惑に乗り、神に禁止されていた知恵の実を食べてしまう。その結果、アダムとイブの二人は楽園を追放されてしまう。
これらのことから、旧来のキリスト教の世界では女性は悪の象徴と捉えられていたのだ。それは中世カトリックの修道院が女人禁制だったことからも明らかであるし、また、中世の魔女狩りもこの「女性=悪」の概念を基礎としている。

実際、映画の中で、妻が前年の夏に取り組んでいた学位論文の内容とは「女性虐殺」の歴史であったことが明らかにされている。妻が使っていた資料はいずれもキリスト教における「女性=悪、または悪魔」という考え方の歴史を追うものばかりだった。
妻は女性に対するこういった虐殺・拷問の歴史を調べる中で、その根拠とされた「女性=悪」という概念に取り付かれ精神の均衡を失っていくわけだ。

それは前年に息子と二人で山小屋で過ごした際に、息子に関しても虐待に近い行為を行っていたことが暗示されることからも明らかだ。

精神の均衡を失った妻は激しく夫に肉体交渉を迫るだけでなく(これは悪魔の誘惑という解釈が成立するのかもしれない。というのも夫は妻の要求に結局は毎回応えているからだ)、ついには夫に残虐な暴行を試みるまでになる。命の危険にさらされた夫は妻に「俺を殺すのか」と尋ねる。すると妻は「三人の物乞いが来たら人が死ぬの」となにやら暗示めいたことを口にする。
いったい「三人の物乞い」とはなんのことなのか?

これは案外簡単に解けるはずだ。それはこの作品の各章の題名を見れば一目瞭然だろう。
「三人の物乞い」とは第一章の題名「grief(嘆き)」、第二章の「pain(痛み)」、第三章の「despair(絶望)」を指している。当然、各章に登場するものがそれぞれを象徴しているわけで、「grief」は第一章に登場する死んだ胎児をぶら下げている鹿、「pain」は第二章に登場する自分で腹を割いている狐、「despair」は夫が何度石で打ちつけても死なない不気味なカラスだ。
そして第四章の題名は「三人の物乞い」となり、ここでは鹿、狐、カラスの三匹がすべて登場する。

さて、結局は夫は危ないところで妻を殺し、その亡骸を荼毘に付すと山を降りる。

最後に再び画面は白黒のスローモーションに戻る。BGMも再びヘンデルの「涙流るるままに」だ。そんな中、夫は顔がぼやけて見えない無数の女性に取り囲まれている自分に気づく。そして物語は終わりを告げていく。

この終わり方の意味はなんなのだろうか。

おそらく、夫は妻(=悪/悪魔)を殺すことによって神に戻った(神が自分の姿に似せて創ったのはアダムだったことを忘れてはならない)ことを示しているのではないだろうか。そして、エデンを去って現実に帰ってくると結局は女性に取り囲まれてしまう。無数の女性の顔はぼやけて見えないので、これは「悪」そのものを象徴していると思われる。そのときに流れるBGMを考えても、結局は悪から逃れることのできない「神」と「人間」の宿命を象徴しているのだろうか。

なんともいろいろな解釈を許す映画だ。


しかし・・・・シャルロット・ゲンズブール。年をとったなあ。
「なまいきシャルロット」の頃と比べると驚いてしまった(当たり前だが)。

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  • Date : 2011-03-03 (Thu)
  • Category : 未分類
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