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劇場版「スター・トレック」



本作はもともとテレビ版「スタートレック(宇宙大作戦)」の続編(Phase II)として始まった企画だった。
それが「スター・ウォーズ」や「未知との遭遇」のヒットに伴って映画版として完成されたものだ。
(Phase IIに関してはこちらの書物に詳細が記されている)

もともとはこの続編テレビシリーズのパイロット版「In thy image」を映画用に書き直されたのが本作だ。

ただオリジナルのTVシリーズにはこの劇場版のもとになった物語も存在する。第32話の「超小型宇宙船ノーマッドの謎」がそれだ。



さて本作を改めて鑑賞したのは実に久々だった。
大人になってからみるとかなり印象が異なる作品であった。

そのテーマ性においても全く異なる側面が見えてくるのは非常に興味深く、鑑賞する時点の年齢によって作品の異なる魅力を見出せるのは映画の大きな魅力と言ってもいいだろう。
若い時に鑑賞した際にはどうしても派手な特撮に目が行ってしまった。

しかし、40代半ばで見るとこの作品のもつテーマ性に気付かされる。

まず、今回の鑑賞で感じたのはスワニスワフ・レムの「ソラリス」との共通性だ。






近年、ポーランド語からの完全訳が発表されたことで話題になった「ソラリス」だが、難解な複雑ないくつものテーマを含有する「多層性のある作品」として知られている。

その多層性の物語のひとつの要素として死んだはずの恋人が「生命体である海」に細部に至るまで再現されることによって主人公の心に宿る思いを描くロマンス小説として一面が挙げられる。

スティーブン・ソダーバーグ監督版の「ソラリス」はまさにこの側面を強調したものだといえる。
レム自身はこのロマンス小説としての側面が強調されるのを嫌っていたとされるが、「ソラリス」のもつ多重構造の中で最も理解しやすい側面であることから多くのSF作品に影響を与えてきたことは否定できないだろう。



本作「スター・トレック」においても宇宙からの侵入者によって殺されたアイリーアが忠実に再現されたプローブとしてエンタープライズに戻って来てデッカー中尉との間でロマンチックな展開を見せる。ここにに「ソラリス」影響が感じられる。

結局、宇宙からの侵略者の正体はNASAが打ち上げたボイジャー探査機の6号であったことが明かされる。実際のボイジャーは1号と2号が現在も航海を続けているが6号という存在は完全なフィクションだ。



ただ、この作品の中ではボイジャー6号はブラックホールに突入し、はるか彼方の宇宙に飛ばされ、そこで機械の支配する惑星に到達したことになっている。機械惑星の住人達は自分と同様に機械であるボイジャーのプログラム「可能な限りのデータを収集し地球に送り返せ」を発見し、そのプログラムに応えるべく宇宙船を製造し地球に送り返したという設定になっている。

地球に向かったボイジャー(VOYAGERのOYAが消えていたために自らを「ビジャー」と名乗る)は地球に向かい創造者と会うこと(融合する)ことを願う。ボイジャーは長い宇宙航行の中で膨大な量のデータを蓄積しているが、このデータに疑問を感じている。スポックはこのボイジャーの想いに共鳴しボイジャーは膨大なデータ(知識)を有するのに「無意味(No meaning)」、「希望がない(No hope)」、「答えがない(No answer)」であると感じている、と語る。

この考え方は非常に深い意味を持つ。日本においても過剰な受験勉強の結果、膨大な知識を有しているがそれがいつまでも「勉強」の域にとどまり「学問」としての昇華ができていない者がたくさんいる。知識とは自分が「考える」つまり学問をするための基礎であり、目的ではないのだ。

こう書くと、この問題は受験戦争を体験した若者に限られるかのように聞こえるかもしれないが、実は現代の日本社会では老人から若者までに共通する問題点だ。


しかし、ボイジャーは「膨大な知識」だけでは物足りなくなり「私はこれだけなのか?」「もう何もないのか?」と自問を始める。
実はこの問いを持った瞬間から、「自分で考える」思考を持った高度な生命体となったといえるのではないだろうか。

知識は大事だ。しかし「知識の量だけを誇る人」はプライドが高いだけの「面倒な人」であり下等な生命体といっても過言ではないだろう。社会に対して害毒ですらあるのかもしれない。



さて、本作のボイジャーの設定である「可能な限りのデータを集め」それを「創造者に送信し融合する」は、のちに「新スター・トレック」で人類の最大の敵となるボーグの設定に共通点が見受けられ、のちの「スタートレック」シリーズの設定に影響を与えているのは間違いないだろう。
ボーグは機械集合体であり、相手を取り込み、吸収することで一体化する。



本作の主人公であるカーク船長は劇場シリーズ第7作として位置付けられている「ジェネレーションズ」において死亡する。
しかしカーク船長を演じたウィリアム・シャトナーはカークが死ぬことに不満で撮影中にカークが生き返る設定を思いつき、プロデューサーに話したとされている(あくまでもシャトナーが書いた自伝「Star Trek movie memories」によれば、だが)。



結局このアイデアは受け入れられず、カーク船長が生き返る物語が映画化されることはなかった。

しかし、シャトナーはこれが不満だったのか自ら「ジェネレーションズ」の続編「カーク艦長の帰還」を小説として発表した(シャトナーはゴーストライターを使うことが知られているので、おそらく小説はゴーストライターの手によると思われるが)。

 


この小説の中で死んだカークはボーグの科学力によって蘇るのだが、同時に映画版「スタートレック」に登場するボイジャーが接触した機械化惑星とは実はボーグの惑星であったことが明かされている。

となると、映画版「スタートレック」において描かれたのはボーグによる初の地球攻略だった、ということになる。
それはそれでエンターテイメントとしては面白いが、なんだか上述の深遠なテーマ性は私のただの深読みになるのか、とさみしくもなる。

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  • Date : 2018-03-04 (Sun)
  • Category : 映画
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