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同じテーマの異なる作品

芸術はときに人の心を動かす。

このテーマに取り組んだドイツと日本の二作品がある。


ひとつはドイツの2006年の作品「善き人のためのソナタ」。

舞台は1984年、東ドイツの国家保安省の局員が反体制の疑いで監視対象となった劇作家の監視を命じられる。

しかし、作家の作品や音楽を聴くうちに彼の心は動かされ、虚偽の報告をして劇作家とその恋人を救おうとする。

全編を貫く静かで、一方で緊張感をもった展開がすばらしい。
舞台はベルリンの壁崩壊という劇的な展開を迎えて・・・・。ラストは感動を呼ぶ。

悲劇的な展開がメインだが、素晴らしい作品だ。

主演のウルリッヒ・ミューレがすばらしい。

ミューレは惜しくも近年、この世を去ったが「わが教え子、ヒットラー」や日本映画「スパイ・ゾルゲ」に出演している。






東ドイツの監視社会の悲劇についてはさまざまな書物がある。細かく読む時間がない人のためにおススメの本は浦沢直樹氏の「マスター・キートン」。この中にも東独の元監視員たちの物語があった。



さて、これと同じように検閲を行う体制側の人間が検閲対象である芸術家の作品に触れる中で心が変わっているさまをコミカルに描いた作品として三谷幸喜氏の「笑いの大学」があげられる。

舞台は昭和15年の日本。戦争に向かって進みゆく日本は演劇を禁止、上演には台本に厳しい検閲をかけることになった。

検閲官は劇団の座付作家を呼び、台本の訂正を執拗に要求する。しかし、書き直しを何度も命じる中で徐々に作品の魅力にとりつかれた検閲官はいつしか台本直しに夢中になり・・・・。という展開。



役所広司と稲垣吾郎の主演で映画化されているが、もとは舞台劇。舞台劇のほうが断然いい。これは映画作品の出来がどうのこうのではなく、舞台での公演が最適の形で作られたからだろう。


こちら舞台版。


「笑いの大学」は世界中の人々の心をとらえた。
英国版の舞台で主人公を演じたのは今をときめくマーティン・フリーマンだ。





どちらの作品も取り締まるべき体制側の人間がいつしか芸術に飲み込まれていく姿が描かれている。

「善き人のためのソナタ」は悲劇的な物語に、「笑いの大学」はコメディに位置付けられているかもしれない。

しかし、この作品をよく見比べてみると・・・・。

「善き人のためのソナタ」は途中まdの展開は悲劇的だ。しかし最期に爽やかな感動を呼ぶ。
一方の「笑いの大学」は展開の中で爆笑を誘う。しかし、その最後はたまらないほどの悲劇だ。

この違いは各作品の時代背景にある。

「善き人のためのソナタ」は冷戦の終結、ベルリンの壁の崩壊というドイツにとっての東独分裂という悲劇が終結に向かっていく時代を舞台にしている。
一方の「笑いの大学」は太平洋戦争という日本民族にとっての最大の悲劇に向かう時代の中でそれにあがらう人々の物語だ。

そういえば、ある医学部の老大学教授が自身が生物学研究者としての偉大さを強調したいあまり、「私は芸術はくだらないと思う。芸術は人の命は救えない」と言ったのを聞いたことがある。

大変な勘違いであり知識のなさを露呈している(実際、この老教授は自称「権威」で他人の業績を取ることばかり考えていた)。

「善き人のためのソナタ」にも描かれたベルリンの壁崩壊。

その過程に大きな役割を果たしたのはデビッド・ボウイが1987年にベルリンの壁の前で開催したコンサートだ。
デビッド・ボウイはスピーカーの1/4を東独側に向けた。
その結果、警察の制止にもかかわらず5000人以上の東ベルリン市民が壁のもとに集まった。

ボウイの曲は自由を求める人々の心を揺さぶり、東独の体制側の人間の無力さをみせつけたのだ。そして2年後にベルリンの壁は崩壊した。


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  • Date : 2016-08-27 (Sat)
  • Category : 映画
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