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サクッと読めて面白かった

1時間で読み終えた。
内容的には繰り返しが多いが、面白かったし気分が楽になった。


この本を読んだきっかけ・・・。

私は医学/生物学関係の大学教授をしている。
かなりの若手のために年功序列がモノをいう日本ではちょっと珍しいのかもしれない。

そんな環境にいると大変に苦しむのが、年功序列にすべて頼っている老害科学者たちの攻撃だ。

困るのは65歳前後の団塊世代後期の老年科学者たちだ。
この世代はまあ、発表した論文が少ないにもかかわらず年功序列だけで出世した連中だ。
恵まれた世代だと思う。

この世代は大学入学までは「受験生だから」ということで過保護が社会からも黙認されていた(このあたり、彼らが受験生だったころに連載された原作4コマ漫画の「サザエさん」を読むとよくわかる)。
さらに大学に入ったら、先輩たちが学生運動を熱心に行っていた。
学生運動には否定的な見解も多いようだが、私は学生運動を始めた世代というのはそれなりに筋が通っていて立派だったと思っている。

そのあたり、学生運動を始めた世代というのは大体において大学を去って、独自の道を歩むことで「ケジメ」をつけている点でも明らかだ。



学生運動を始めた世代である山本氏の上記の書籍を読むとよくわかる。
山本氏のその後の人生がそれを語っている。

問題は現在、退職間近にある大学教授たちの世代だ。

彼らは過保護的受験戦争が終わって大学に入学したとたん、そこには先輩たちが始めた学生運動があった。先輩たちが始めた運動に乗っかって、さしたる主義主張もないまま、流れに乗る形で当時の年配の大学教授たちをつるしあげる快感に酔った。熾烈な受験戦争(と彼らは信じていた)を勝ち残った学生として自分が年寄りの教授よりエライと勘違いしても無理はない。

大学の講義は休講が多く、彼らにとって「受験勉強」がすべてだった。「学問」を学ぶ機会を逸していたのだ。
だから「勉強」は得意だが「学問」ができない世代になった。
そして、当然、好き放題に暴れた学生運動が収まれば、それまでの運動はどこ吹く風で大学に残って出世の道を模索した。

さらに「本当に優秀な世代」の先輩が学生運動のあおりで大学を去ったからポジションに「空白」ができた。


つまり本来では大学に残って研究など続けられない程度の能力しかなかったのに「大学に残る」ことができたのだ。

さらにこの世代は海外留学が稀だったから、アメリカに1-2年いって帰ってくれば業績なんかなくても大先生気取りができた。
もう勘違いの連鎖反応に狂った世代だ。

彼らは「与えられた課題」をこなすのは得意だが自分で「考えて創造する」ことがとても苦手だ。だからこの世代の大学教授が熱心になるのは本当に優秀な研究者の発表する論文に乗っかること。何年も教授職にあるのに最終筆者の論文が数えるほどしかない65歳前後の教授が多い。これは彼らの独特の嗅覚で「立派な研究」をしている「学問のできる研究者」を探し出し、その研究に乗っかって「実験に協力する」形で業績を増やしてきたからだ。
なかには「協力する」と言って近づいておいて、他人の研究を乗っ取ってしまう教授も存在する。
いずれにしてもこの世代に特徴的にみられる。

彼らの世代は学生運動の最後に「深い考察や思慮」がなく参加したのが特徴だ。「マルクス・レーニン主義」や「トロツキズム」といった言葉を何も理解せずに連発し、よくわからないが論戦において集団で「ナンセンス!」と横文字を繰り出した。これがかっこいいと思っていた。そして社会主義的発想は全く理解していなかったが、自分にとって都合のいい論理だけは取り入れた。それがマルクス・レーニン主義にみられる「目的は手段を正当化する」という考えかただろう。

学生運動終焉後に恥もなく大学に残ったのは「大学に残る」という「目的」のため自分たちの「学生運動という過去」は「なかったことにしていい」という都合のよい考え方。

私の知っている老教授は、日本ではある程度名の通った存在だが、その内情はねつ造データに基づく論文に裏打ちされている。
彼の言い分は「いい学術雑誌に論文が採用されるため」(目的)なら多少のねつ造(手段)は許される、というものだった。
だが、この老教授の研究室は若手スタッフにまで「ねつ造が常態化」してしまっており(教授がねつ造を求めるのだから若手がねつ造に対する罪悪感がなくなるのは当たり前だが)ねつ造の規模もエスカレートしてしまっていた。

なんとも嘆かわしい。

そして彼ら団塊世代後期の教授たちが何よりも熱心に行うのが教科書の「編纂」や海外の教科書の「監訳」だ。

教科書にこだわる点がこの世代を端的に表している。
「お勉強」が得意な世代にとっては何より大事なのは「教科書」だ。
さらに「考えて創造する」ことが苦手なことを反映しているのが「編纂」と「監訳」をする点だ。

彼らは自分で文章を書くことが苦手だ。自分で「無から作る」ことが特に苦手なわけだ。与えられた課題はこなせるが、自分で作るのが苦手な点はここにも顕著に表れる。
だから他人が書いた文章を「編纂」したり下請けの翻訳者が翻訳した海外の教科書を「監訳」するわけだ。

他人の仕事を自分の仕事にするのが得意だ。


そんな世代の科学者たち。
「お勉強」はできるから知識はあるのかもしれないが・・・「認知度」というか「心の成熟度」が非常に未熟だ。

学会などでも、ヒステリックに怒鳴りまくる。

大人の行動とは思えない。
つまり「品がない」のだ。

感情を露わにして叫びたてるのは、おもちゃ屋で「買って買ってー!」と泣き叫ぶ子供と同じだ。

つまり彼らの精神年齢は子供と同じだ。

私のような若手はこういった「品のない年寄り」の被害に会うことが多い。

彼らは「若手だから反論しないだろう」という小狡い考えでヒステリックに喧嘩を売ってくる。
自分より年上の「本当に実力がある」研究者には決してヒステリックにならないのも「いい子」を演じ続けたこの世代の特徴でもある。卑怯の塊のようだが、一方でそれだけ「甘やかされて育てられた」のだから仕方ない一面もある。彼らは集団になると自分より「年上」の世代に対しても強く出ることができる(学生運動に乗っかったことがそれを端的に表している)。しかし、一人だけで行動する場合には年上に対して本能的に「いい子」を演じてしまうのだ。甘やかされて育てられた「いい子」というのは強者に媚びを売ることに関しても天下一品だからだ。

しかし、私はこういった老害科学者を甘やかしてはいけない、と思っていた。「年上だから若い世代には何を言っても許される」と思っている世代にはきちんと「ダメなものはダメだ」と言ってあげることが大事だと思っていた。彼らをこれ以上甘やかしてはいけないのだと思っていた(お年寄りを敬うという常識的発想・道徳心は私にもある。しかし、それを考慮に入れても「これは許されない」という行動をとる老齢者が多いと考えていた)。

反論すると捨て台詞をはいてこれまたヒステリックに対応してくる。そして最後には拗ねてしまう。

こっちは不愉快極まりない。

しかし、今回紹介した「感情的にならない本」を読んでわかった。

相手にしているから悪いのだ。
こういった老害科学者は何を言ってもダメ。

見放すのが一番だ。
どうせあと数年で退職だ。
退職後、年功序列だけで再就職ができるほど、現代は甘くない。

ヒステリックに叫ばせておけばいい。
精神的には未熟な子供以下。何年も生きてきたのに、人間として最も崇高な「精神」を成熟させられずに「受験生」のレベルで止まってしまっている彼ら。

ある意味、哀れだ。

相手にしていた私が間違っていた。

でも、喧嘩を売られれば頭に来るのは事実。


そのときの対処法が書いてあるのがこの「感情的にならない本」だ。

すぐに読める。1時間ほどで読めた。

おすすめの一冊だ。



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  • Date : 2016-01-10 (Sun)
  • Category : 書籍
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