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キアヌ・リーブス主演「JM」からいろいろ考える






サイバーパンク小説の旗手とも言われたウィリアム・ギブソンの「記憶屋ジョニイ」をベースに キアヌ・リーヴス主演、北野武らが共演した作品。

監督は映画業界ではなくニューウェーブ・アーティスト、つまり芸術家のロバート・論語が担当している。異業種映画監督の作品だ。

公開時には散々な評価で、今も高くは評価されていないが、じつに興味深い作品でもある。
今回は映画として、そして現在に与える影響、さらには映画の中の技術と現実の科学についても考えてみたい。
物語は脳に埋め込まれた記憶装置に「情報」を入力して運ぶ運び屋のジョニイ(キアヌ・リーヴス)とその情報を巡ってジョニイの命を狙うヤクザの高橋(北野武)らの攻防に「情報の自由化」を訴える無法集団「ローテク」がかかわり合いながら展開していく。

原作は「ニューロマンサー」などの代表作でSF文学に新風を吹かせたサイバーパンク小説の旗手ウィリアム・ギブソン。
ギブソンはこの映画が製作された頃に、精力的に映画製作にかかわっていた。ちなみに「JM」も脚本はギブソンが自ら担当している。

   



映画「エイリアン3」の初期の脚本もギブソンが執筆していた。
このときは残念ながらギブソンがアメリカの脚本家協会(ユニオン)に所属していなかったために採用されなかったが、完成した作品にバーコード刺青による囚人の管理というギブソンのアイデアが残っている。

   



原作は「クローム襲撃」に収録された短編小説。名作「ニューロマンサー」の前日譚のような位置づけになるだろうか(「クローム襲撃」が「ニューロマンサー」の原型ともいえるのだが・・・これはまあ、別のお話)。

   



原作は映画のようなエンターテイメント性に満ちた出来ではなく、どちらかというと淡々とした軽いノワール調の作品だ。

原作は日本では漫画化されていて、非常に原作に忠実に作られているので一読の価値はある。

   
(漫画版はこちらに収録されている。)


一方の映画版はジョニイが運搬する「情報」が、舞台となる2021年に流行している神経衰弱症候群(NAS)の治療法であったり、また「ブレードランナー」にも似た世紀末的な雰囲気も漂わせエンターテイメント性を重視した形になっている。

主演のキアヌ・リーヴスは本作品と類似した形でのちに「マトリックス」に主演し、さらに北野武も自身の作品で何度も手掛けているヤクザを好演しており、ハリウッドでも淡々としたヤクザぶりが妙にマッチしていた。今、思えばのちに北野氏が監督するハリウッド進出作「Brother」における北野氏の演じるヤクザの原型のようにも感じられる。



  



脇を固める俳優陣もいい。

あの肉体派のドルフ・ラングレンも狂信的新興宗教の教祖として登場。「ロッキー4」以来「ユニバーサル・ソルジャー」「リトルトーキョー殺人課」「レッド・スコルピオン」とオバカ映画ばかりで出演作に恵まれていなかったが、本作品では今までと異なり筋肉を売りにしていないのが彼の別の一面を見せてくれる。


(ラングレン:「ユニバーサル・ソルジャー」)

  



さらにあの怪優ウド・キアも出演。

映画ファンにはたまらない。

ただ、今改めてこの作品を見てみるとどうにもB級映画のオーラが消えない。
これは当時斬新だったCG映像が居間は古臭く見えるから、とかそういう問題ではないみたいだ。

気づいたのだが、この作品、常にBGMが流れていてうるさいのが。これがチープ感を醸し出してしまっている。

ハリウッドでは映画の流れが遅くなりそうな作品において観客を飽きさせないために「常にBGMを流す」という手法が取られることがある。

かつて日本製アニメーションがまだアメリカで知名度を勝ち取っていなかったころ、「子供=映画に飽きやすい」というイメージから宮崎駿監督の「魔女の宅急便」はアメリカ公開英語吹き替え版製作の際に、音楽が常に流れているように再編集されたことがある。





私も「魔女の宅急便」英語版を見たが、常にサントラが流れていて非常にうるさい作品になっていた。

この「JM」も同様の問題点を結果的に抱えている。
映画の内容に合わせてシンセサイザーを駆使して未来的な音楽が流れているが。これがなんだかチープな感じに拍車をかけてしまっている。残念な作品だ。

  



さて、映画の中で扱われているのはコンピューターと脳のインターフェイスともいえる技術だ。

実際、人間の脳をコンピューターとシンクロさせて、ということは可能なのだろうか?

脳における電気活動をコンピュータのそれと同様に捉えようとする考え方はある程度は理解できる。
そもそもサイバーパンクというジャンルはこれをベースにした作品群だ。


ただ、筆者は脳研究もしているが、そんなに簡単じゃないなあという実感もある。

近年、オプトジェネティクスという最新技術を用いて主にマウスやラットの脳を用いて脳を神経の「電気回路」と考えて行う研究が行われている。
サーキット・マッピングという手法もあるが、これにより比較的「限定された脳機能」を「回路網」としてある程度見えてくるのは事実だ。
実際、脳における摂食制御の一部(本当にほんの一部だが)が神経回路として解釈できる、という論文も発表されている。

ただ、脳神経は樹状突起、さらに軸索が複雑に情報の入出力を行っており、コンピューターの回路だけでは説明は難しいように思える。というのも回路の接点にあたるシナプスにしても、その結合、解離、結合の強さが条件によってめまぐるしく変化する可塑性を有しており、これを単純な電気回路として説明するのは難しいだろう。

逆に電気回路で脳を再現するという試みも行われている。IBMと米コーネル大学がかいはつした脳型チップ「トゥルーノース」があるが、その機能は昆虫の脳程度だ(ただ、このチップは脳と同じく非常に小さなエネルギーで動く点において画期的だと思う)。


一方、マシンと脳のインターフェイスの研究は現在も盛んに行われている。
この分野は専門ではないのだが、ひとつ注目している技術にSecond sightによるArgus IIシステムが挙げられる。
これは網膜色素変性症によって視覚が失われた患者に、ビデオカメラがとらえた映像を信号に変換し、残存した網膜細胞に電気刺激として与え、視覚情報として脳に伝えるというシステムだ。



このコンセプトは以前、当ブログで取り上げたヴィム。ベンダース監督の「夢の涯までも」と同じだ。




現在、アメリカでは現に使用されているが、完全な視力の回復とは言えず、今後の技術改良が期待される。

今では忘れ去られた感のある「JM」だが、見直してみると結構、いろいろ考えさせられる作品なのだ。


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  • Date : 2015-09-30 (Wed)
  • Category : 映画
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