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再読「たけしくん、ハイ!」と「浅草キッド」からいろいろ考える・・・日本の大学に潜む深刻な問題



北野武氏の作品は常にいい。

ご自身の原点に立ち返っているのがこちらの二冊。



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「たけしくん、ハイ!」はノスタルジア満載で今の時代に受けるだろう。「菊次郎とさき」のファンにとっても必読。


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「浅草キッド」は北野武氏の「コメディ」に対する主張が込められた青春作品。



その「主張」はどのような社会にも通用するものであるのが読む者を魅了し、かつ混迷の現代での生き方を示すものになるはず。
運命に身を任せるだけでなく、目標に向かって妥協しない北野氏の主張がこの作品には込められている。

実力こそが全て、という芸の世界はうらやましくもある。

北野氏曰く、


「芸は単に実力だけの世界である。ウケるやつがウケないやつの前を歩くのは当然のことだった。強いやつはどんどんのし上がっていき、駄目なやつはどんどん滅ぼされていく。力のあるやつだけが常に前を歩く。これが芸の世界の摂理だった」


実力があるものこそが評価される。実力が認められないうちは「主張」することも許されない。

不満があるなら死にもの狂いで実績を、評価を上げればいい。


目標を持って、実力を発揮できるように全力で頑張り、そして実績を上げる。それがおのずと評価につながる。



しかし、実際の社会では「実力」よりくだらない年功序列が最優先されている現実がある。日本社会は第二次大戦前からこの「年功序列」という奴が社会に根強く浸み込んでいるようだ。
これを見直す時が来ているのかもしれない。

一方で、現代社会で「年功序列」の価値観のみに頼って生きてい年配者のように醜い年の取り方はしたくないなあ、と思う。もちろん、年功序列とは無関係に立派な年配の方も多い。しかし、それ以上に「年功序列」にどっぷり浸かっているだけの年配者が多いことは否定できないのが日本の現実だ。

ここで言う「年配者」だが、抵抗がある人も多いかもしれないが、大体においていわゆる「団塊の世代」とされる世代の方・・・この世代の方に「年功序列」にどっぷり浸かっているだけの人物が多く見受けられる気がする。

一概に言えないのは、団塊世代のみなさんの中でも、当時「金の卵」と言われて田舎から出てきて都会で額に汗して日本のインフラ整備に頑張ってくださったみなさんにはこういったタイプは少なく、むしろ尊敬できる方が多い。

一方で、労働などとは無縁で、大学などに進学されて学生時代は学問よりも学生運動に勤しまれたにも拘わらず、卒業後は全てをリセットされて、一流企業や大学教員になって活動された年配者は「困った発想」をお持ちの方が多くいらっしゃるように感じられる。もちろん誤解してほしくないのは、こういった方にも尊敬している方はたくさんいる。ただ、このジェネレーションにはおかしなことを言い出す方々も多いように感じられる。これを読んで不快に感じた団塊世代の方もいるかもしれないが、ご自身の周りにも「変な同世代」が必ずいるはずだ。団塊世代すべてが聖人君子だなどということはあり得ない。


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もちろん「年功序列」にはいい一面もあるのだろう。しかし、「年功序列」にだけ頼っている年配者はやはり淘汰される社会が健全なのだろう。それは年齢に関係なく、感情を排して、その人の「実績」を詳しく検討してみればすぐにわかる。年配者であれ若年者であれ、実績のある者が認められる社会が健全だ。

実際に年功序列に頼っているだけの年配者というのは、その醜い行動を反映してか実に醜い外見をしている(まあ、これは若手にも言えることだ。醜い行動をとるものは外見も醜くなってくる)。一方で年齢を経てなお、第一級の業績を追求している年配者は生きいきとされていて心から尊敬してしまう。

いい年の取り方をしたいものだ。


ただ最近、日本における年功序列にどっぷり浸かっている年配者の行動の数々に本当に困っているわけで(重ねて言うが立派な年配者もいらっしゃる・・・それはわかっているし、そういった人生の先輩は心から尊敬している)。

彼ら年功序列だけの年配者というのは、自分より若い人間が自分のために尽くすことに「感謝」というものをしない、というか・・・。当然と言った態度で手柄を搾取していく。

世の中は「Give and Take」なのだが、彼らのやっていることは「Take and Take」。自分は年を取っているから搾取して当然、という態度。

年齢には関係ない。親切にしてもらったら「ありがとう」と感じる。これは人間として最低限のマナーだ。

横取りをして自分の手柄にして、満足感や充実感などはないはずだ・・・長い人生の中でそれを感じたことがないのだろうか?それとももう麻痺してしまっているのだろうか?

仕事でもなんでも「自分でやり遂げて」こそ充実感や満足感があるのです。人のものを取ったり、盗んだりしても充実感や満足感はないのです。それで「得をした」気分になっても最終的には自分が醜くなっていくだけです。

そんなことをこの作品は訴えている気がする。

年功序列にどっぷりとつかって自らの努力を忘れて安穏とした日々を送っている年配者のみなさんには特徴がある。時代に追いつこうという努力を怠った結果、現代の最先端の知識に乗り遅れている。だから出来る若手の部下が業績を上げても、自分の時代遅れの過去の経験をもとに否定しようとする。それでいながら若手が「誰が見ても否定できないほどの業績」を挙げると、上司として自分の業績にしてしまう。

また、こういった年配者は新人を相手には「教育」の名の元に論破を試みるが、その分野の一線で活躍が認められている人が相手になると絶対にかかわろうとしない。負けることがわかっているからだ。学生の研究発表では学生が泣くまで質問攻めにする割には、全く自分では論文も書かず、全国規模の学術会議では発言ひとつしない年配者の大学教員などが典型だろう。つまり「教育」の美名のもとに「弱い者」をいじめるのが得意だ。
「絶対的に勝てる相手」にだけ喧嘩を売る「言い返せない相手にだけ強く出る」という卑劣極まりない行為を行っているにもかかわらず、本人は「愛情を持って教育している」と自己の卑怯な行動を心から正当化しているかたやっかいだ。

まったくもってこういう年配者はチンピラ以下だ。

何度も言うが、こういった行動をとっていない年配者はたくさんいらっしゃる。そういった年配者は心から尊敬している。ただ、日本にはこんな困った年配者がたくさんいるのも事実だ。

ちなみに学問の世界でよく見受ける困った年配者というのは、大学で研究しているはずなのに、英文の論文というものをほとんど発表していない(たまに発表していてもグレードが異様に低い学会誌だったり、10-20万円程度の金を払えば載せてくれるオープンアクセス専門の英文学術雑誌だったりする・・・またこういう恥ずかしい論文なのに自分の講座のHPで偉業を成し遂げたように宣伝していたりする・・・普通に考えて論文採択率70パーセントで掲載に10万以上のお金を支払うことを要求する学術雑誌に載って「誇れる」センスがわからない・・・まあ、あまり英文論文を書いたことがない年配研究者にとっては初めてのことで有頂天になっちゃうのかもしれないが・・・研究者としては経験不足で未熟と言われても仕方ない・・・いったい今までどんな研究生活を送ってきたのか)。

もっとも卑劣な教授というのは実は簡単に判別できる。

その教授の論文を検索してみるといい。

結構たくさん出てきた、という教授は大丈夫・・・というとそうでもない。

よーく見てみると教授をしているのに最終筆者になっていない。
ほとんどの論文は多数の筆者の中で後ろから2-3番目に名前が載っている。こういうのは他人の業績に乗っかるのが上手なタイプのずるがしこい教授だ。

たくさん論文があるのに筆頭または最終筆者の論文が極端に少ない奴。こういうのは取り入るのがとにかくうまいタイプで独自性などが全くない。けど論文にたくさん名前があるだけで「自分は偉大」と勘違いしていることが多い。

まあ、一言でいえばバカだ。

ああ、あとこういう馬鹿は筆頭筆者や最終筆者の論文が少ない割に日本語の総説は著者は自分ひとりだけで発表していることが多い、他人の業績に乗っけてもらったのを自分お業績のように「日本語」の文で誇るわけだ。

英語は書けないから日本語で書いて自己満足に陥る。

もうあきれてものが言えないがこれがバカ年配教授のよくやる手口だ。

気を付けたほうがいい。


こういう「困った教授」が目指すのが自費出版専門のような小さな教科書出版社から大学生向けの教科書を出版することだ。しかも自分は「著者」ではなく「編著者」に徹する。

これはまあ、論文と同じで「自分のアイデア」がないから他人に頼ろうという卑劣な考えがそのまま出ている。
仲間の若手に文章を書かせる。実質なにもしていないのに「編著した」といって「まえがき」と称して偉そうな講釈を垂れる。もうバカな教授は嬉しくて仕方ない。

精神構造が幼いから自分が偉くなった気分になるだけで幸せだ。


しかもその教科書を自分の授業で使って学生に買わせて儲けようとさえする。

まえがきで講釈が垂れられるほどの業績もないのに(あるとしても他人に乗っけてもらった業績ばっかりだ)、まあ自分は世界の専門家のように講釈を垂れている。

研究が出来ない大学のバカ研究者は(年配者に限らず若いのも)必ず「教育」を理由に挙げる。「学生教育が忙しいから研究が出来ない」という言葉を何度聞いたことか。研究能力がないことの自己正当化はいい加減にしろ。

もともと「編著者」として自分の名前を冠した教科書を作りたい、という浅ましい考えで作った教科書だから内容も大したことないしお粗末だ、学生にとってもいい迷惑の教科書に過ぎない。こういった教科書で役に立つ内容のものを見たことがない。通常、文章を書く人は「読者」の存在を意識する。くだらない自尊心さえ満足すればいい、という目的で「編著」した教科書なんざ読む価値すらない。

調子にのってこういった教科書を何冊も「編著」するバカ教授までいる。
自分の講義で使って、押し売りみたいに売りつける教科書を作って嬉しいか?自ら進んで読む読者が誰もいない教科書つくって嬉しいか?

はっきりと言う。
その道の権威をきどって「大学教授」の肩書があっても、「論文」という業績がなきゃあ「自称・権威者」なんだよ。
こういう困った年配教授のやっていることは自己満足、つまり「オナニー」だ。

っつーかさああ、いい年してんだから教授になったら自分のネタで勝負してみろや!
やりたい研究があるから教授になるんだろ!



学生に自己満足教科書という「オナニー」を強制的に売りつけているのだから、やっていることの実態は痴漢行為と同じだ。

中には「編著」のオナニー教科書を何冊も出版したことを根拠に「自分は権威者だ」と世にも恐ろしい勘違いをすいるバカ年配教授すらいる。


そういう卑怯なことをするな!
羞恥心を持て!
実力で勝負する度胸も自信もないならおとなしくしていろ!何を学んで年齢を重ねて来たんだ!?
何も学ばなかったのか?それともボケちゃっているのか?

そういった年配研究者にひとこと言っておく。
学問は「世界が相手」だ。

英文で発表しない業績は実質「読まれていない」と考えるべきだ。ましてや使えない自己満足のオナニー教科書を100冊日本語で「編著」したって、そんなのは国際基準から言えば「何も評価されない」。というかお笑い種だ。紙屑を作っているだけだからやめておけ。資源の無駄遣いだ。

英語できちんとした雑誌(論文掲載に金銭を要求しない学術雑誌)に論文を発表してみろ!
教授として論文のラストオーサーになるなら部下に「金銭を要求するような学術雑誌」には論文を投稿させるな!

本当にきちんとした論文を載せる学術雑誌は「オープンアクセス」なんていう美名を使って金銭を要求したりしない。


そんなに教科書が書きたかったら、せめて英語で教科書を「自分で」書いてみろ!

それが「実力」というものだ。
無駄に年を取っていない学者ならそれができるはずだ。

悔しがることはない。上記のことを実行すればいいだけだ。

出来ないなら、もう「学者としては終わっている」ということ。ただそれだけだ。
これ以上みっともない行為をして晩年を汚すな。

しかし、いろいろと調べてみると、多くの大学院生がこういったバカ年配教授のアカハラやパワハラに苦しめられているのがわかる。

ニュース記事によれば、かつてある大学の薬学部では自殺に追い込まれた大学院生もいたそうだ。

人を自殺に追い込むようなバカ教授に限って大した業績がない上記のような輩が多い気がする。

これから大学院を目指す学生さんのためにそういうバカ年配教授の見分け方を一応記しておく。ここに記すのは一種の目安なので絶対的評価基準ではないので、参考の上、自分でしっかりと研究室を見極めることが大事だ。

まず前述のように「編著」の教科書を複数冊出している教授の研究室は怪しい。
本当の研究をして論文を出している研究室であれば、教授に「オナニー教科書」を編著している暇なんざないはずだ。また、本物の研究者であれば、そんな教科書を何冊書いても学問の世界においては何の役にも立たないことをよく知っているので無駄なことはしていないはずだ。

ただ、気を付けるのはバカ教授の編著する教科書というのは必ずといっていいくらい「学生向け」の教科書であることだ。「薬理学」や「生理学」など広い範囲の一般的教科書を偽装している。

通常、本物の研究者には専門分野というものがある。その専門分野をひたすら掘り下げて研究を続けるのだ。

オナニー教科書を作るバカ年配教授は自分の「専門分野」がない。形式的にはあるが、その分野をそんなに深く掘り下げたことではない。その分野の研究(というか真似事)の本物の論文を真似して小さい論文(バカ年配教授の中には英文論文もなく日本語の解説文を書いた程度の輩もいる)をかつて発表したことがある程度だ。

だから広く浅い知識しかない。そういう奴は自分が何か本を出したいと思ったとき、広い範囲の一般的教科書しか思い浮かばない。
なぜなら専門的知識が浅いことを知っているから。

一言でいうと、こういうバカ教授でも一流の大学は卒業している。ただ、こういう奴らは「お勉強」が特異なだけで「学問」は無理なのだ。つまり暗記術には長けているが「自分で考える」ことが全くできない。
なんか現代の受験生の若者を揶揄するときに使う表現みたいだが、なんのことはない。そういう年配(自称)研究者は大学に山ほどいる。

学生運動で大学時代の大半を過ごした世代は「学問を教わる」機会を失しているので、「大学受験」のための受験テクニックしかしらない、そんな大学教授もいる(もちろん全員ではないことはわかっています)。

中国には文化大革命のときに学生時代を紅衛兵として学生運動的破壊活動に身を投じた世代がいる。彼らは現在、年配者となっているが、彼/彼女らは学問をすべき時に紅衛兵として青年学生運動ばかりしていたので学問的バックグラウンドに非常に弱いのだそうだ。

日本にも同じ傾向なのかもしれない。

学生時代は学生運動に明け暮れ、まともに学問はしなかった。「いや、崇高な理想を目指して戦ったのだ」という人もいるだろう。でもきちんと戦った人は私の知っている限り、学生運動の時代が終わった後、きちんと大学を去っている。つまり筋が通っていてブレがない。

一方、醜い年配教授たちは大抵、学生運動が終わり、自分たちの就職の時期が来ると、何食わぬ顔で大学に就職した連中の末裔だ。

そして酔っぱらった時に自分が学生運動にかかわっていたことを平気で自慢する。
何度そういう話を聞いたことか。

大学で当時の教授たちを吊し上げた人がなぜ教授をしているのか・・・。その上、若手の業績を横取りする・・・。
まったく筋が通ってない。

「最近の若い研究者は・・・」ということをこの世代は良く言うし、そのブログを書いている私も彼らからしたら「最近の若者は・・・」という一人かもしれない。

ただ、彼らは「右手に少年マガジン、左手にゲバ棒」という時代を送った。
学問なんて入るスキはないのだ。


許せないのはそういう活動を中途半端にやった連中が、今、バカ教授になって「学問」について語り若手を攻撃・搾取している点だ。

貴様らの学問の原点は「少年マガジン」だろ?

もちろん何度も言うが、この世代の教授にも非常に尊敬に値する人たちもたくさんいる。
その人たちは心から尊敬している。
その人たちのことを言っているのではない。

尊敬に値する年配教授は決して弱者を攻撃したり人の手柄を横取りしない。ご自身のすばらしいオリジナリティあるすばらしい研究をされている。そして、そういう年配教授は自分の部下の出世や処遇についても心を砕いてくれている。本当の意味での若手の育成をしているのだ。



ここで私が非難しているのは「弱者を攻撃し、人の手柄を狙っている」バカ教授やバカ教員のことだ。

そういう奴は受験教科書に書いていることはよく覚えている。しかもそれが自分が「優秀である証」だと考えている。
本当に優秀な「研究者」は自分で考え、独創的な発想で研究をするのだ。

でも「お勉強」しかできないバカ年配教授は論文なんざかけるわけがない。
英語の論文を書くなんて無理に決まっている。受験勉強で教わった構文だらけの英文しかわからないからだ。

英語をコミュニケーションの道具として考えていない。彼らは英語を「受験で優秀さをアピールする」要因としか捉えていない。
だから英語が使えないし、英文論文を書いて審査に落ちると「自分が(英語も含めて)優秀である」という自負が音を立てて瓦解するので耐えられない。だから自分を傷つけないために「英文論文は書かない」。一方で自分の部下の論文が審査に落ちたりすれば罵る。

つまりバカのくせに卑怯だ。

ちょっと話がそれた。本題に戻ろう。


一方、大学院生向けにある特定の専門分野の研究の最前線について大学教授が編著している本というのがある。
これは専門分野の「研究の最前線」について記してあることからわかるように本当の権威者が書いている場合が多い。「研究の最前線」の内容の本を編著している教授は優れた教授であることもある。

だから「大学生向けの一般的教科書」を何冊も「編著」している年配教授(大体こうう教授は退職まで5年以内くらいのが多い。大学在職中に名誉を遺したい一心でバカなりに考えて教科書を作ろうと思い立つわけだ。逆に言えば、退職すればだれも相手にしなくなるのがわかっているのだ)。こういう教授が主宰している研究室は要注意だ。

あと、その研究室のHPも大事だ。

自分が出した「編著」教科書を「XX教授の教科書が出版されました」と宣伝しているHP。スタッフ紹介のページで教授のプロフィールに「著書一覧」として一般的学生教科書を編著したことを誇らしげに記している。

さらにHPのトップページのトピックスなどに大した論文でもないのに「XX先生の論文がOOに掲載されました」と紹介されている研究室もあぶない。

特にオープンアクセス雑誌に掲載された論文を高らかに自慢しているような研究室はやめておいたほうがいいかもしれない。

オープンアクセス雑誌の一覧を知りたい人はこちらをクリック。

そういやあ、日本の某大学がアルツハイマー病の治療法を発見した、とか報道されていたなあ・・・。
調べてみたらオープンアクセスの雑誌に発表してんだなあ。

いったい掲載してもらうためにいくら払ったんだ?
今、調べてみた。掲載料は3000ドルだ。まあ日本円で30万円だ。

なんか自分の研究成果の論文を金で物言わせて載せるってのもなあ・・・・個人的にはプライドが許さないが・・・。

オープンアクセスの大義名分はもちろん知っているが・・・・きちんとした研究機関で研究していれば、大抵の論文は図書館になくても200円程度で読めるじゃないか・・・・(ここは内部事情を知っている方のみに向けて書いてます)。

本当にアルツハイマー病の治療法を発見してりゃあ、きちんとNatureにでも載るはずだと思うが。

さて、また話がそれて申し訳ない。再び大学院生を目指す人のための研究室選びについて。

加えて大事なのは研究室の教授の過去10年程度の期間に発表された英文論文をチェックすることだ。
通常、教授であれば自分の研究室で行った研究の英文論文は最終筆者になっているはずだ。

過去10年間の間にその教授が最終筆者になっている論文が何本あるか?それが評価ポイントだ。
年配教授であれば長い間教授をしているのだからたくさん論文をはっぴょうしているのが正常だ。しかも自分が主導(指導)して行っていれば最終筆者として英文論文をたくさん発表しているはずだ。

しかし、論文の数はあるが、最終筆者ではなく教授の名前が後ろから2-3番目に位置している論文の数が多い、という場合はその教授はお調子者のバカの可能性が高い。
自前の研究ではなくほかの研究室の研究に乗っかっているだけだ。つまり他の研究室の他人のアイデアの研究の一部を自分の研究室のスタッフに担当させて自分の名前を載せてもらっているわけだ。

つまりこういう年配教授は何もしていない。

例としてはこういう年配教授が一番危ない。
10年から20年近く前に最終筆者ではなく、後ろから2-3番目の著者でかなりいい論文がある(たとえばPNASクラスの)。ただ、その後、この教授の最終筆者論文が少ない。たまに最終筆者であってもオープンアクセスジャーナルだったりする。

こういう場合、問題の教授は10年以上前に一度、他人の業績に乗っかる形で優れた業績のおこぼれをもらっている。
本当にPNASレベルに載る能力のある教授であれば自分のオリジナル研究の論文(つまり最終筆者として)でも同レベルの雑誌に掲載されるはずだ。

ところがそれがない、ということは、この教授には自前で研究する能力が欠けているということだ。

他人に乗っからなければきちんとした仕事ができないわけだ。
ひとの業績w横取りしているこせに威張れるバカというのは筋金入りのバカだ。年とってもそんなことしているなら泥棒のような人生を送ってきたのだろう。

しかしいい論文に名前を一度連ねたため自分が優秀と勘違いしてしまっている。だから態度も傲慢で始末に負えない。
こういうのを「学者ゴロ」という。

こういうバカ教授が晩年になると教科書の編著に執念を燃やす。

バカだからだ。
バカなりに何も入っていないおつむを使って思いつくのが「教科書編纂」だ。哀れで仕方がない。
まあ、人の努力を盗むことばかり考えることには長けているから、そういう意味では「知恵」はある。まあ、ただそれは学問的な知恵とは無縁の「憎むべき浅はかな知恵」だ。


これから大学院進学を目指す人のために要約すると

1. 小さな論文を自慢している研究室。
2. 主催する教授が最終筆者になっている英文論文があまりない。
3. その割に後ろから2-3番目にその教授が名前を連ねている論文は数本ある。
4. 教授が退職間際で大学生向け教科書を多数編著している」


そんな研究室というのは慎重に見極めたほうがいいだろう。、

ただ、この年配者レベルの学者どもに言っておく。

いくら威張って権威を気取っても、心の汚さはわかるからな。

年配者でも人間性が出来ていて、上記のようなバカでない人は同じ教授でも「穏やかで凛々しい顔」をしている。
バカ教授は本当に心が透けて見える醜さが丸出しだ。

若手や学生を恫喝して自分の自信のなさを隠しているバカ年配教授はチンピラの顔をしている。「弱い者のあらさがしをして攻撃してやろう」という醜さが前面に出ている。HPの写真で「笑顔」でいるつもりが「不遜」「傲慢」「狡猾」が混ざったキタネエ気持ち悪い笑顔になっている。

また、他人の業績を横取りしようとばかりしている年配バカ教授は「狡猾」で「ズルイ」性格が前面に押し出されている。時代劇に出てくる悪い商人の顔つきだ。眼光は鋭いが、そこに知性はなく「自分の得になる」話を虎視眈々とギョロギョロ探している。それでいて権力には弱い「臆病さ」も丸出しだ。

だから大学院を目指す若き諸君!直観も大事だ。研究室の教授に会ったとき直観的に「醜い」と感じたら多分当たっている。

この世代は罪の自覚に薄い輩が多い(つまり後ろめたい感情がない)ので、「醜い思考」がストレートに顔に反映されている。

きちんとしていて尊敬できる年配教授や研究者はきちんと「尊厳のある」容貌をしておられるのだ。

ただ、学問の世界にも「老害」を引き起こしている一団もいるのだ。

まあ、この世代はあと数年で退職だ。
この世代でも「本当の研究者」は退職後も活躍の場を与えられるだろう。
バカ教授どもは引退後は何もできなくなるだけだ。退職金を全額つぎ込んで誰も読まない自伝でも自費出版してな。
退職後は、貴様らが編著した教科書なんざ誰も使わねえし、誰も買わねえよ。


「今の若者は・・・」という不満と同じくらい「今の年寄は・・・」という実態もある。この文を読んで不快に思った年配者がいたとしても、自分と同年配の年配者が皆、聖人君子であるとは言い難いのが現実だろう。「あいつは酷い」と心で思う同年配の人が必ずいるはずだ。

「今の若者は」という言葉はこういうバカ年配教授などは言う権利はないのだ。

しかし、こういった意見も年配者は「生意気だ」と思うだけだろう。

だから本田宗一郎の言葉を記しておく。

「企業で一番怖いのは社長の無知です。問題は持っている知恵が古くなることです。そうすると、過去がどんなに偉かった経営者でも、会社をつぶすことになります」

「年寄りがリーダーであり続けるなら、せめて若い人の悪口を言わないという保障をしてほしい。もうひとつの注文は、時代の変化を勉強すること。やってみると、それが年寄りにとっていかに難しいかが良くわかる。徳川時代のように変化がほとんどない時代には、知恵なり経験則を持っている老人が長老として威張っていられた。現代は、あんまり世の中が進みすぎるものだから、わからないことだらけ」

そして、もし思い当たる節があったら。今からでも遅くない。立派なリーダーに生まれ変わっていただきたい。「教育・指導」という美名のもと新人相手に威張ってばかりいる年配の方に言いたい。本当の「指導」というのは「自己満足」のためにするものではありません。

「指導」とは以下のようなものです。

ひと言でいって、指導者とは責任をとるということです。責任をとれない人は、指導者たる資格はない。昔は、指導者の心得というのは、みんなのために死ぬということでした。


上の文を読んで「生意気な!」と思った年配者のみなさん、これは松下幸之助の言葉です。


我々は気を付けなければいけない。
こういったバカな年配偽学者というのは
目的(自分の名誉)のためならどんな真似も平然とこなし、罪の負い目などこれっぽっちも感じない連中だ。

こんな奴らに理屈は通用しない。
退職するまでは近寄らないのが一番だ。


なんだか暗くなる事件が多い。

ひき逃げして被害者をひきずった挙句に殺してしまったと思われる年配教諭(容疑を否認しているそうだが・・・どうも証拠は揃っているように思われるけどなあ・・・)

それから喫煙を注意されて逆切れして電車内の机を壊して1.5時間も電車を遅らせて、警察に対しては「記憶にない」とうそぶく68歳。

後者などはもはやチンピラの若僧より始末が悪い。

どちらの場合も(まあ、ひき逃げはまだ否定してるのかもしれないが)、平気でうそをついて「逃げ切れる」と思っている甘さが鼻につく。

というか、いくら嘘を突き通しても「良心」がとがめないのだろうか?
もはや、その脳の構造は非情な連続殺人鬼と変わらないような気がする。

こういう輩がいるのに「最近の若い者は・・・」と世の中のすべての悪事は若者のせいだ、と主張するバカ年配者がいるのだから本当に・・・。実際問題として「最近の若者」なんか真っ青の「最近の年寄り」の行動は「若者」の行動より大胆だ。
ひと殺しても、電車ダイヤを乱すほどの行為をしても「覚えていない」だもんなあ・・・・。罪の自覚もないどころか自己防衛のために平気でうそをつくもんなあ。「嘘はつかない」という人間としての基本姿勢がない。

まあ、こういった人たちの同世代で学生運動に青春を興じたみなさんの中には、大学を去り、研究をあきらめたりした若者もいた一方で、「学生運動そのものがなかった」かのようにふるまい、一流企業や大学に勤務した人たちもいた。

やったことに責任をとらない、罪悪感を感じない、自分はリセットされて許される、と考える甘さも困った年配者の特徴かもしれない(あくまでもこの世代にいる「困った年配者」を対象に言っているのであって、世代そのものを否定しているのではありません)。

若い時は大人の価値観、体制側の権力を否定していた人たちも、中には自分が年を取り、当時否定していたはずの「大人の価値観」を当然の権利として主張し、自分に都合が悪いことは、たとえ罪のない人の命を奪っても、多くの人に迷惑をかけても、「拒否」し、「否認」し、知らん顔をする年配者もいる。

業績は横取りする、絶対的な弱者にしか威張らない、人を殺しても多くの人に迷惑をかけても罪悪感もなく自己防衛が出来る、自己防衛のためなら平気でうそをつく・・・。

「しかし、今の若者だってそういう奴はたくさんいる!目に余る!」という年配者の意見もあるかもしれない。ただ、そういう行為をする年配者はいったい何を学んで年を取ったのか?という疑問が湧き上がる。やっていることはゴロツキの若者と同じだ。その上、社会的ステータスまである。ごろつきの若者と同じ精神年齢なのに社会的地位がある、これは恐ろしいことだ。年功序列の弊害かもしれない。

きちんとした年配者にとってもこういった困った年配者は敵であるはずだ。
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  • Date : 2014-11-24 (Mon)
  • Category : 書籍
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