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ヘンリー・ダーガー(ダージャー)とアウトサイダー・アート

アウトサイダーアートの定義は専門的教育がないのに評価されることも求めずに創造された芸術のこと。
そこにはエゴや商業主義とは無縁の純粋な芸術作品があると考えられた。

そんな中でもっとも有名なアーティストにヘンリー・ダーガーがいる。

今回は、そんなダーガーについて・・・。


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(アウトサイダーアートについてはこちらがおすすめ。値段も適当でわかりやすい)
さて、今回取り上げるヘンリー・ダーガー、実際には「ヘンリー・ダージャー」という発音が正しいようだ。


ダージャーの作品はまずは15000ページにも上る長編小説。そしてそれに付随する形で描かれた挿絵の数々である。彼は当然、この物語を公表しようと考えていたのではなく、自分の満足のためだけに描いていた。したがって、この作品は彼が晩年、老衰によって一人暮らしが困難になり貧民救護施設に入所したのちに、その部屋から発見された。作品群は死後、評価を得て、アウトサイダー・アートとして高く評価されることになった。


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(ダージャーについてはこのドキュメンタリー映画が最もわかりやすい。女流監督ジェシカ・ユーによって見事にかつ繊細にダージャーの生涯と作品が紹介されている。特にダージャーの残した絵画をCGアニメとして製作し、非常に完成度の高いドキュメンタリー映画になっている)

彼の絵画は少女に対する強い偏愛が貫かれている。手法的には既存の少女の写真(広告や童話本の挿絵など)をトレースするなどして写し取り、衣装などを組み合わせ、さらに裸像を描くまでにいたる。


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いわゆる少女偏愛者として捉えることも可能であり、観る者を異様な不快感に誘導しつつ、その一方で作品の持つエネルギーは観る者を圧倒する。

ただ、注意しなければいけないのはダージャー自身は敬虔なカトリック信者であり、生涯、変質者としての行動をとってはいないということだ。またこの作品群を誰にも見せることを意図していなかったということだ。つまり、我々は彼が心に秘め、誰にも見せる気のなかったものを無理やり見ているのである。先日、日本を代表する漫画家である手塚治虫の書斎机の鍵がかけられていた引出の中から手塚の描いた大量のエロチック・イラストが発見された。これも手塚は誰にも見せる気はなかったはずで、ダージャーの作品群も我々が勝手に見ることは本来許されなかった作品であることを忘れてはいけない。

また、彼はある種の精神発育障害を持っていたことも忘れてはならない。彼の妄想世界はかれだけが理解するのが正しい。宮藤官九郎氏による「中学生円山」のように妄想を広げるのは個人の自由だ。


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(「中学生円山」を見た時にダージャーのもつ世界観を少しだけ理解できたような不思議な気持ちになった・・・あくまでも個人的な感想だが・・・)

彼の描く裸像の特徴としては女性にもかかわらずそこには男性器がついていることである。
これに関しては精神障害があったために現実の女性を知らなかったため、という説明が多いが、近年の研究から意図的に男性器を描いていた可能性が指摘されている。

これらの絵画を理解(重ねて言うが、これは誰に見せることも意図していなかった作品なので、果たして理解するために分析することが正しいのかわからないのだが・・・)するためには、彼の幼少時代を考える必要がありそうだ。

私は美術評論家ではないので、間違っていたら許してほしい。

ダージャーが誕生したとき、父はすでに52歳、母親は30歳だった。彼の幼少時代の人格形成さらにその後の作品群に大きな影響を与えるのは4才のときに母親が彼の妹の出産とほぼ同時期にこの世を去ってしまったことだ。彼の妹はそのまま里子に出されてしまい、ダージャーは生涯この「失われた妹」と「失われた母」のイメージを追い続けることになる。

ダージャーが8歳のとき父は貧困の中、息子を育てるのが困難になり自らは貧民救護施設へ(ダージャーはのちに父と同じ、この救護施設で息を引き取ることになる)、そしてダージャーは少年施設に送られることになった。

ここが彼の生涯を考える上で重要なのだが、一般的に精神発育遅滞があったとされるダージャーだが、この施設ではきわめて優秀な子どもであったことが確認されている。彼はとくに南北戦争史に強い興味を覚え、その戦いや犠牲者数について正確に記憶していたとされる。しかし、ここで問題が起こったのはまず彼がチック様の症状を持っていたこと。そして彼が自慰行為をしていたことを咎められたことだ。当時まだ保守的であったアメリカの道徳観において自慰行為は「正常でない」と考えられていた。その結果、彼は少年施設から精神障害者施設に送られることになってしまった。この障害者向けの施設はかなり環境が悪い場所だったようで入所者の不審死などが問題になっていた。さらに重傷者の受け入れを積極的に行っていた施設だったのでダージャーにとっては適切な場所だとはとても言えなかった。

結局彼は脱走することになるのだが、その先が問題だ。あまり公には語られていないが、どうもシカゴに逃げ帰った彼は少年売春を行うことでなんとか貧困から逃れて生きながらえていたようだ。


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(アメリカでは少年売春はもっとも忌み嫌われる。桐野夏生の傑作「グロテスク」はアメリカで出版される際に少年売春の件が意図的に翻訳されなかった。欧米では「翻訳による検閲ではないのか?」と問題になった)

ダージャーはなんとも悲劇的な少年時代を送ったことになる。

彼はその後病院の雑役夫として生きつづけたが、その一方で自宅では小説「非現実の王国」とその挿絵の執筆を行っていた。

物語はキリスト教の教義に基づく広告と悪魔の王国の対決を描いている。そして悪魔の王国は子供の奴隷化を推奨しており、これに対抗してキリスト国はヴィヴィアン・ガールズと呼ばれる少女たちを中心に奴隷解放を目指して戦うことになる。

1930年代前半には小説は完成し、その後、挿絵を描き続けていたと考えられる。


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(こちらもダージャーの入門書としては最適)

このヴィヴィアン・ガールズはどうも母と里子に出された妹を象徴する存在であったと考えられる。

では彼の描く男性器を備えた少女たちの裸像。これをどう捉えるのか?

まず、彼の潜在意識の表れである、という考えが成立する。
フロイトの考え方は、夢などに出るイメージはすべて潜在的な性的欲求の表れであると考える。現在ではこの考え方は否定されている。これはフロイトの時代には性的な事柄がすべて表に出すことを否定されていたので抑圧された潜在意識=性的欲求だったために、たまたま夢に出ているにすぎなかった。
この考え方を広げるとダージャーの場合には抑圧していたのは少年売春の記憶だったのかもしれない。そこに反映されているのは自分の過去の姿・・・という考えも可能だろう。

そしてやはり二度と会うことのなかった妹の存在だ。


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(フロイトの学説を理解する上ではこの映画が最適だ。フロイトとユングの対立と、二人の間にいた「カギ」となる女性患者を描いた作品。鬼才デビッド・クローネンバーグ監督が綿密な取材をもとに当時の精神医療の現場を再現している。とにかく傑作だと思う。映画ファンも精神医学に興味のある人も必見の作品だ)



1911年にエルシー・ペルーベックという少女が行方不明になった。ダージャーはこの事件のエルシー少女の写真を大事に保管していたのだが、紛失してしまう。彼は神に祈りをささげ写真を返すように祈るが写真はみつからなかい。ついに彼は神に対する深い信仰心の一方で、神に対する不信感を募らせていく。同時期、「非現実の王国」でも神の軍隊が負けて殺戮の限りが尽くされることになる。また彼自身と思われる人物が悪魔側の将軍として登場したりもするようになる。

エルシーのイメージは子供奴隷の反乱軍のリーダーとなっており、その写真お紛失がキリスト国に大きな禍をもたらすにいたる。エルシーのイメージは彼にとって妹を象徴していたのは間違いない。


彼は結局、物語をハッピーエンド(神の勝利)とアンハッピーエンド(神の敗北)の2種類描いている。神への信仰と不信感の両方を象徴している。

その作品は死後、管理人だったネイサンラーナーによって管理され、現在の評価を得るにいたった。その作品が芸術として評価されたのもネイサンが写真家として芸術をいちんと評価できる人材であったからだ。

しかし、ここで疑問が生じる。

この作品は公表されることを目指して描かれたのではなかったのだ。

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  • Date : 2014-04-06 (Sun)
  • Category : アート
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